病気を持っているということで、自分はかなり甘やかされたと思う。
フリーといえば聞こえがいいが、無職だ。いわゆる営業ができないカメラマンの典型だ。営業というのは百軒回って初めてちゃんとした営業というんだと、教えられたことがあるが、自分は10社も行かないで営業をやめてしまい、作品撮りをしていた。親父が、働かなくていい、といったことを真に受けてしまい、親父を納得させるだけの仕事ができなかたことが悔やまれる。結局コマーシャルでもなく、アートでもない作品を細々と撮っていた。四谷写真塾で勉強し、ようやく個展を開いたのが55才という、遅いデビューだった。四谷にあった、ルーニー、というギャラリーは、審査が厳しく落ちる人も多く、ルーニーで個展をしたというと、業界的にはちょっと凄いことらしかった。個展の期間中は、雪が降る、悪天候もあったが、何が何やらわからないまま終わってしまい、成功だったのか失敗だったのかわからない。メディアの取材が一本も入らなかったのは失敗なのかもだが、ギャラリーにプレスリリースを一任していて、個人的にメディアに売り込むことはしなかった。もしまた個展をやるとしたらもっと自分が動いて、プロモーションをしなければいけないと思った。とにかくやった人にしかわからないが、個展をするというのはとてつもないエネルギーを消費する。