2019年01月

Nikonのレンズをキタムラより1万も高く査定してくれる業者がいた。宅配便で集荷してくれたので不安はあったものの、結果としては助かった。レンズに小さい傷があるから、仮査定額より減額されたのだがキタムラより甘い査定で助かった。これからはヒカカクを利用しよう。D750もあと2万は高く売れたはずだが、Dfが非常に程度が良かったから、良しとしよう。機械は使わないと痛むことを思い知る。マメじゃないから手入れをしない。
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佐野眞一によるノンフィクション作品を読む。昭和天皇の崩御、その前にさかのぼるプラザ合意によるバブルの発生と崩壊、美空ひばりの死に象徴される昭和の終焉、政治、社会的大事件を重ねて、振り返る好著だ。まさに現代史を知りたい人間には必読書。面白かったが十年前の2009年初版の古本。それでも十分古びてはいない。昭和34年生まれの自分には十分納得できた。この本に限らず、関川夏央の昭和本も読んでいる。米ソ冷戦といっても平成生まれにはピンとこないだろうが、あわや核戦争かという緊張が、新生ロシア以前のソビエト連邦とアメリカの間に存在していた。ソビエトの共産主義は理想としてはいいのかもしれないが、過度の平等主義は人間をダメにするという退廃を生み出した。だからといって過度の競争主義もいかがなものかと思うし、現実に格差社会をこのまま放っていいものかとも思う。

昭和という大戦争と敗戦、朝鮮戦争やベトナム戦争というアジアの犠牲をはらんだ日本の60年代、70年代の成長と繁栄は果てしない夢物語を抱かせた。今の自分からはそれが幻に過ぎなかったと思える。奢れるもの久しからず。盛者必衰の理あり。親父は裸一貫で保育園を起こし、親父が死に保育園はなくなった。
GROOVIN’昭和!4~自衛隊に入ろう
オムニバス
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2010-10-06
戦争を知らない子供たち-北山修 作詩集(紙ジャケット仕様)
ジローズ
EMIミュージック・ジャパン
2007-08-08


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ボブディランの、アルバム「ブロンドオンブロンド」に所収の長い曲だ。「風に吹かれて」は明確な反戦歌だが、この曲はディランの中でも、意味深な詩の言い回しに特徴がある。ノーベル文学賞に値する素晴らしい表現を用いている。この曲は百回以上は聴いた。

吉田拓郎はボブディランに強い影響を受けたシンガーソングライターだ。自分は何千回も拓郎の曲を聴き続けたし、次兄と篠島コンサートにも行ってかなり後ろから、米粒みたいな拓郎を見てきた。音楽ライターじゃないので、詳しいことは書けないが、DJを務める深夜放送は必ず聞いていたし、自分の青春に大きな影響を与えられた。拓郎が詩を作詞家に頼むようになってからは、徐々に拓郎離れが進んだが、それでも中年になってからもよく聞いたし、今も耳が正常なら聴きたい音楽だ。
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お金がないので使わないレンズを売ることにした。中野の業者がやけに高い査定価格で、怪しいが清水の舞台から降りる覚悟で宅配で本査定してもらうことにした。カメラのキタムラがあまりに安く見積もりを出してきたので、危険も承知で宅配便で業者に送る段取りをつけた。梱包資材があったので、ヤマトの集荷を待つのみとなった。きょうも1円も使わずに済んだ。明日は眼科、帰りにマルエツで2千円ちょっとの買い物をする。あと使えるのは一万円。1日に兄に会えなかったら医療費を待ってもらう。
清貧の思想 (文春文庫)
中野 孝次
文藝春秋
1996-11-01



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流行通信ビル内の「ザ・スタジオ」というところで、アルバイトのスタジオマンをやっていたが、20代、30代の新進気鋭のカメラマンたちが来ていた。それぞれスタジオをよくわかっていた。28でサントリーのポスターの仕事をしていたカメラマンはすでに助手が3人いた。六本木スタジオからジェネレーターを何台も借りて、逆ハの字にトレぺを張り、バックを白く飛ばし、鹿賀丈史の撮影をした。バックに植物のスライドフィルムを映写し、モデルを立たせその上からストロボをたくカメラマンは伊島薫さんだった。流行通信のADはそうそうたる顔ぶれだったのだが、自分がいたころは初期ほど過激ではないといわれていた。ハナブサリュウさんはハッセルブラッドを手持ちで、モデルを黒い下着にして撮っていた。助手はいなかったが今でも活躍されている息の長いカメラマンだ。ファッション写真はそれほど興味はなかったが。、いい現場を見ることができた。
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