自分は三男で、次男夫婦が母親の介護をしていた。長男は二キロ離れた寺に住み、介護には関わらなかった。自分が八か月入院している間に母の認知は進んでしまった。次男の嫁と母は折り合いが悪く、母が95才の秋に山形の姉が働く施設に入ることになった。自分は何もできなかった。嫁いわく自分と母は相互依存していると。とにかく自分と母の二人は別々に実家の寺から追い出されることになった。横浜市の役人だった父の遺族年金が支払われ続けていれば、ないよりましの遺産になるかもしれないが、自分に来るかどうかはわからない。弁護士を立てると兄たちの援助が切られるから、それもできない。母のためになることを何もできなかったのだから、遺産がないと言われても仕方ない。生保になるしかない。自分がお金を持ってもろくな事にならないと思われていても仕方ない。俳句でも詠んで余生を送るしかないだろう。願わくばこれ以上の身体的苦しみから解放されたい。何とか自力で小遣い稼ぎがしたい。カメラはコンデジのいいのだけ残して売ってしまった方がいいかもしれないが、母が生きているうちにもう一度個展を開きたい。自己満足でもいい。